.No Title Tormenta Eleccion

Tormenta Eleccion


sample ...02

 ついこの間、ここに引っ越してきたばかりだと思っていたけど、空も随分青濃くなって照りつける日差しが強くなった。七月も半分過ぎた頃に行われた期末テストではまずまずの結果となり、補習の心配もない。早めに課題を終わらせて、夏休みを楽しみたいと思っていたんだけど……。
 ふと問題を解く手を止めて、カレンダーを見る。もう夏休みが始まって一週間だ。
 手元に携帯を置いたまま毎日のように課題をしてたけど、結局一日も遊びに行かないまま七月が終わろうとしていた。
(恭介くん、そんなに忙しいのかな……なんだかメールも少ないし)
 夏休みだし、やりたいことが沢山あるのかもしれない。終業式の日に忙しくなるかもと聞いていたから、何度もメールを送って邪魔をするのも憚られて、私もつい課題に集中してしまって。遊びに行けたらいいなと思って買ったタウン誌も、もしかしたら無駄になってしまうのかもしれない。
 連絡しようか、しないでおこうか。携帯を弄りながら、私はメール画面と発信画面を行ったり来たりしながら悩んでいると、突然手の中で携帯が鳴り響く。
「も、もしもしっ!」
「こんにちは、五十嵐さん。もしかして、お取り込み中でしたか?」
「あ、いえ……たまたま携帯を持ってたので、慌てて出ちゃって」
 恭介くんかと思った電話は司先生からのもので、課題は順調に進んでいるかとか、夏休みを楽しんでいるかとか、わざわざ気にかけて連絡してくれたようだ。
「……と、あまり長話をしていてはご迷惑ですよね。きっとこれから出かけられるのでしょう?」
「え、特に予定はありませんけど……」
 今日、何かあったっけ。手帳をパラパラと捲って見ても、特に予定は書き込まれていない。こんな時間から、学校に登校するような用事もないはずだし。
「では、五十嵐さんのお時間、少しお借りすることは出来ますか?」
「はい、構いませんよ。何かお手伝いですか?」
 もう課題もほとんど終わらせているし、先生の誘いを断る理由は特にない。家に閉じこもってばかりもつまらないから、私はすぐに快諾した。
 けれど、先生のお誘いは予想外なものだった。
「いいえ、今日は花火大会があるようなので、ご一緒頂ければと思いまして」
「司先生と二人で、ですか?」
「ええ、そうなりますね。何か不都合がありましたか?」
 ずっと外に出ていなかったから、そんな情報も入っていなかった。もうすぐ日が沈む時間だし、今から恭介くんに誘われることも無さそうで、少しだけ迷う。
(男の人と二人っきりで会うって知ったら、恭介くん怒るかな)
 とは言っても相手は司先生だ。男友達や犬塚先生と行くならまだしも、何を心配する必要があるだろう。折角の夏休み、花火だって見たいし少し遊びにだって行きたい。
 電話越しに司先生を待たせてしまっているという焦りもあって、私は深く考えずにその誘いを受けることにした。
「大丈夫ですよ。それじゃあ、すぐに出かける準備をしますね」
 まさか、夏休み最初の外出が司先生と一緒になるなんて思わなかったけど、先生とならいい息抜きになるかもしれない。ほんの少し恭介くんへの後ろめたさを抱えたまま、私は手早く準備をして、待ち合わせ場所へと向かった。



 待ち合わせ場所の駅前では、同じように相手を待つ浴衣姿の女の子が多かった。相手を見つけては嬉しそうに手を振っている姿を見ると、ほんの少し羨ましくなってしまう。
 私はと言えば、デートに誘われたわけでもないのに気合いを入れていくのも恥ずかしくて、普段通りに洋服のまま。大人と歩くんだからと少し気を遣ってみたものの、今日の駅前には浮いてしまっているかもしれない。
(一緒に花火を見るだけだし、デートじゃないよね?)
 周りのカップルの多さに当てられて、こんな所で待ち合わせていたら私も同じように恋人を待っていると思われるのだろうか。人目も多いし、もし学校の子にでも見つかったら誤解されてしまうのだろうか。
 そんなことを考えながら司先生を待っていると、申谷さんの姿が目に入った。黒地にピンクの花とレースを沢山あしらった派手な浴衣に、帯もパールとレースで凄くボリュームがある。髪もアップにして、随分と気合いが入っているようだ。
 きっと彼氏と待ち合わせをしているんだろう。あまりジロジロ見るものでもないし、今は申谷さんに見つからないように司先生と合流することを考えなくちゃと目を逸らしたときだった。
「恭介くん来てくれたんだ! すっぽかされたらどうしようかと思ってたんだよ」
 耳を疑いたくなるような言葉に、思わず振り返った。嬉しそうに笑う申谷さんと、ちょっと疲れたような顔をする恭介くんの姿を目の当たりにして、私は言葉もなく立ち尽くすことしか出来ない。
 ここまで聞こえてきたのは、恭介くんを見つけて腕に飛び込んだ申谷さんの第一声だけで、それ以降の会話はまるで聞こえない。ただ見えるのは、仲良く腕を組んで歩く二人の姿だけ。
(恭介くん、忙しいから会えないって言ってたのに……申谷さんとは会えるんだ)
 それならそうと、ハッキリ言ってくれればいいのに。もやもやした気分になるなら目で追わなければいいと自分でも思うのに、どこか気付いてくれないかと願ってしまう。足音が自分の側で止まったことに気付いても、二人の行方から目が離せなかった。
「すみません、お待たせしてしまいましたか?」
「あ……いえ、大丈夫、です……」
 待ち合わせ場所に来た司先生を見ずに答えると、同じように私の視線の先を追う。結局こちらを振り返ることなく、恭介くんたちは仲良く雑踏に消えていってしまった。
「……少し、場所を移しましょうか」
 私の手をとって歩き出す司先生は、ほんの少し強引のように感じたけど、無理にでもこの場所から連れ出してくれるのは、少し嬉しかった。一人で居たら、このまま考え込んでしまいそうだったから。



 何も尋ねず、先生は甘味処に連れて来てくれた。一階が和菓子屋、二階が喫茶スペースになっていて、葛を使った夏らしい涼しげな物から可愛らしい練り切りまで、見ているだけでも心が癒されるような優しい空間。ほのかに香る和菓子の甘さとお茶の爽やかさが、一層私を優しく包んでくれているようで、まるで司先生みたいなお店だと思った。
 いつもならあれこれ質問していたかもしれないけど、黙ったままの私に嫌な顔一つせず、司先生は食べさせたいものがあると笑って、他の時期にはどんなものがあるか話してくれて……相槌を打つばかりの私を元気づけてくれる。
「なんだか……すみません。折角誘ってもらったのに、私がこんな調子で」
「いいえ、元より気分転換にとお誘いしたんです。それに、まだ花火には間に合いますから」
 少し落ち着いてきた私を見て、司先生は優しく微笑んでくれる。こんな様子を他の人が見れば、どう思うのだろう。兄妹に見えるだろうか、それとも――恋人同士に見えるだろうか。
 お会計のために席を立ち、何やら店員さんと話している司先生は嬉しそうで、またさっきの光景が脳裏を過ぎる。
(……今頃、恭介くんも申谷さんとに楽しんでいるのかな)
 気にはなるけれど、追いかけてまで問い詰めようとは思わない。恭介くんに感じていた後ろめたさも薄れて、いっそこれはデートだと思い込んで楽しんだって罰は当たらないんじゃないかとさえ思ってしまう。
「お待たせしました。さあ、一番綺麗に見える所へご案内しますよ」
「はい。司先生のエスコート、楽しみにしてますね!」
 吹っ切るように微笑めば、司先生は少し驚いたように私を見る。ずっと気を遣わせてばかりだったし、花火くらいはちゃんと楽しみたい。そんな気持ちが伝わったのか、司先生はいつもの優しい笑顔で座って待っていた私へと手を差し出した。
「では、期待にお応えして……こちらへどうぞ」
 差し出された手にそっと自分の手を重ねて、非常口から外へ出る。空は丁度オレンジ色から藍色へと溶けるように混ざり合って、何かが起こりそうな不思議な色。細い階段を登る間も手を繋いだままで、狭い場所にこうして二人でいることが、なんだか不思議な感じだった。先生と生徒がこっそりと、秘密の抜け道を歩いているかのような雰囲気だけれど、登り切ったところで目の前に広がるのはロマンチックな場所ではなく、どこにでもあるビルの屋上。
 ビル街の間にあるこの建物はあまり高く無く、夜景はあまり楽しめそうにない。ただ、大きなT路地に面しているから、車のテールランプやビルの明かりが奥に吸い込まれるようにして輝いているのが綺麗だった。
「そろそろですね。あの大通りの方を見ていて下さい」
「わぁっ……!」
 テールランプが続く道の上に輝く、たくさんの花火。次々に打ち上がるそれに、私は目を輝かせた。こんな見晴らしの悪いところで花火が見えるのかと思ったけれど、まるで切り抜いたかのようにぴったりビルの間から花火が見える。思わず手すりの近くまで駆け寄って、よく見えるように真正面へに立つと、司先生は苦笑しながら私の後ろで見ているようだった。
 そのまま食い入るように見ていると、私の手の隣に置かれる大きな手。私の後ろから見ていた司先生は、私を囲むように手すりを持って、真っ直ぐ花火を見つめている。身長差があるから、ぴったりとくっついているわけではないけれど……それでも近すぎる距離だ。まるで、男の人の腕に包まれるような感じで落ち着かない、なんて言ったら意識しすぎだと笑われるだろうか。相手は、担任の先生なのに。
「どうかしましたか? 花火、あまりお好きではないですか」
「いえっ、花火は好き……ですけど」
 手を繋いだときはそうでもなかったのに、どうして今はこんなにも緊張するんだろう。デートとして楽しもう、なんて思ってたけど大人のような振る舞いは出来そうにもない。
「良かった。私だけが楽しんでいては、申し訳ないですからね」
「司先生は、花火が好きなんですか?」
 出来るだけ意識しないように。そう思っても手すりを握っていた手は段々内側に寄って、背中もぶつからないようにとピンと伸ばして、手すりに寄りかかり気味になってしまう。目の前では色んな花火が上がっているのに、私は背中や頭の上にある司先生の気配ばかり気にしていて、正直花火を楽しむどころじゃない。
「……好きですよ。でなければ、お誘いしていませんから」
「それもそうですよね。誘って頂いて、ありがとうございます!」
 完全に日も落ちて、真っ暗になった空に色とりどりの花やハートが浮かび上がる。今こうして司先生と花火を見ているのは楽しいしドキドキするのに、赤い花火が夜空に広がる度に、どうしても恭介くんのことを思い返してしまっていた。
(……私、寂しいって思ってるのかな)
 だけど、ハッキリとした答えを告げてない私が二人に言えることなんて何も無くて、ただただ虚しさが募るばかり。どうしてあのとき、声をかけられなかったんだろう。
 すっかり花火大会は終わってしまって、遠い空には少し煙がかかっている。ありがとうございましたって笑顔で振り返らなきゃいけないのに、思い出してしまった不安に私はぎゅっと手すりを握りしめた。
「五十嵐さん……」
 そっと司先生の手が、私の頭を撫でる。
「ごめんなさい……なんか、今日は謝ってばかりですね」
 気にしてないつもりでも、気になってしまう。あんなに優しくしてくれたのは何だったのかとか、こんなに早く心変わりするものなのかとか。
(このまま、司先生に甘えてしまってもいいのか、とか)
「一人で抱え込む必要はありません。あなたは私の生徒なんですから」
 生徒――≠サの言葉は、境界線のように感じる。司先生は転校生である私が新しい環境に馴染めるかどうか心配で、こうして面倒を見てくれているだけ。
(なのにどうして、私は抱き締められてる――?)
 背中から優しく包み込む司先生に、どこかで振りほどかなきゃいけないって思うのに、その理由が恭介くんがいるからか、生徒と先生だからなのか、私にはわからない。
 寄りそっていた申谷さんの姿が目に浮かぶ。もう少しだけなら、こうしているだけなら許されるだろうか。
「……まだ、大丈夫です。相談出来る友達も出来ましたから」
 このまま司先生に甘えちゃだめだ。何か取り返しの付かないことになりそうで、私は司先生の腕を解こうと掴む。なのに、握りしめるだけしか出来なかった。
「落ち着くまで、こうしていますよ」
 優しい司先生の声は、私を安心させる。街の雑踏が遠く聞こえる中、二人きりの私たちを邪魔するものはない。私はそのまま、考えがまとまるまで司先生の温もりに包まれているのだった。



 結局のところ、私は恭介くんとのことを真正面から考えたことがなかった。
 それに気付いて、ちゃんと話会うべきだと思って家に帰ってきたけど、もう日付けが変わる頃だというのに恭介くんからの連絡はない。まだ申谷さんと一緒にいるんだろうかと思うと自分からは電話もかけづらくて、話したいことを何度も頭に思い描く。
 ――ちゃんと好きって返せなくてごめんなさい。
 ――好きと憧れの違いがわかるまで待ってくれますか。
 ――待たせすぎて、他の子が好きになりましたか。
 ベッドに寝転びながら、パラパラとタウン誌を捲る。夏限定のスウィーツ特集とか、遊園地の新作アトラクション、それから近隣のプール情報まで。楽しそうなカップルの写真とともに紹介されているそれを見て、ちらりと携帯に目をやる。
 連絡は、まだない。
起きてる? 私はもう課題終わったよ!
 気になって眠れそうにない私は、結局日付けが変わったと同時に当たり障りのないメールを送る。朝になったら、何か返事が届くだろうか。
 再びタウン誌に目を落とすと、静かな部屋に鳴り響くお気に入りの着信音。この曲を設定してあるのは一人だけだ。
『もしもし由奈? おまえ、こんな時間まで起きてたのか』
「うん……本読んでたら、眠れなくなっちゃって」
『なら良かった。早く知らせたいことがあったんだ』
 弾む恭介くんの声は、いつもよりだいぶん機嫌が良かった。そんなにも申谷さんとのデートが楽しかったんだろうかと思うと、携帯を握る手が汗ばんでくる。私は出来るだけ冷静に話を聞けるよう、深呼吸をしてから聞き返した。
『来週、海に行かないか? 良いとこ教えてもらったんだよ』
「海に……私と?」
『由奈以外に誰誘うんだよ。臨海学校もあるし、別にみんなとじゃなくていいだろ?』
 恭介くんは私だけって誘ってくれてる。じゃあ今日見たのは私の勘違いなんだろうか?
(そうじゃなきゃ、海でもどこでも申谷さんと一緒に行くよね)
 自分の思い込みで恭介くんを疑ってしまうだなんて、悪いことをしちゃったな。緊張が解れた私は、笑い話にするつもりで軽く流すようにして言ってみた。
「ううん、申谷さんと一緒かなって思ったんだ」
『…………見てた、のか?』
 緊張した恭介くんの声が、私の背筋に冷たい物を落としてく。バカだなって笑い飛ばしてくれると思ってた。笑い話にして、ちゃんと話し合って。もっとデートだって出来るかなって思っていたのに。
『その、黙ってるつもりはなかったんだ。でもちゃんとワケが――』
「聞きたくないっ!!」
 勢いに任せて電話を切っても、すぐに電話は鳴り響く。私は話したくなくて、そのまま携帯の電源を落とした。

- end -

2010-12-28

タイトルの直訳は【嵐の選択】で、文庫カバーにはTormentaの文字と影に仕掛けをしました。
色の付いてる文字の影を逆読みすると【amor】となり、例え嵐に巻き込まれても真実の愛は見失わない……という意味になればと。
ちなみに、カバー下はゴシックファンタジー。司先生と背表紙の相馬くんが個人的にオススメです!
clap

浅野 悠希